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だれにでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略がない人間には最初からチャンスがない。自分が何をしたいかが分かっているからその目標に従って科学的な努力が可能になる。戦略を行使するためのモチベーションの対象を持っているか持っていないかですべてが決まってしまう。そして、モチベーションの対象を持っている人は、全体の数パーセントだろう、彼らは自分の人生を選択する。自分の人生を選択するために、自分の資源をチェックし、モチベーションの対象に集中して投資するのだ。この世の中には、それができる人と、できない人がいるだけで、それ以外にはいない。きっかけも秘訣も苦労も関係がない。

村上龍「置き去りにされる人々」P31

(via reretlet) (via hogefugapiyo, thanks-a-million) 2009-11-10 (via gkojay) (via urume) (via yaruolikes) (via yaruo)
もし、総務省の指導によって、ドコモに厳しい要求が突きつけられれば、「フリーライド」問題が再燃するかもしれない。「フリーライド=ただのり」とは、コンテンツプロパイダーがキャリアの設備の上で、設備利用料を払うことなく、「タダノリしている」という見方だ。消費者はキャリアに回線利用料を支払っているが、コンテンツプロパイダーはキャリアへ通信料を支払っていないという問題だ。(コンテンツプロパイダーによっては支払っているが)
「のぞみ」の本数は増えています。
9時台は、「のぞみ」「ひかり」「こだま」で11本あります。
これが世界に冠たる日本のスピードです。
JRは、魂の振動数が高いのです。
今、フランスのTGVが速いとか、上海の新幹線が速いとか、世界中でスピード競争をしています。
上海の新幹線は、日本製です。
今度は英仏海峡を新幹線が走ります。
鉄道運行で大切なことは、瞬間の最速スピードではありません。
そんなことを自慢してはいけません。
注目すべきは、9時台に平均時速220キロ、250キロ、270キロの新幹線が11本走っていることです。
前の新幹線が見えるぐらい近いのです。
たとえば、9時初の「のぞみ」と9時3分発の「のぞみ」があります。
3分後に次の「のぞみ」が出るのです。
両者の間は3分しかありません。
駅に1分とまるので、実際の間隔は2分です。
これで事故が起こらないように進むのが、日本の技術です。
新幹線空席状況 (via gkojax) (via kurono) (via orehmi) (via oharico) (via ag107) (via junsakura) (via itokonnyaku) (via twinleaves) (via yaruo) (via book-cat) (via rumble824) (via ibi) (via komatz) (via skamio) (via kiri2) (via clione) (via takeshi) (via katsuma) (via ikubon) (via narilab, mcsgsym)

2010-07-26

(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym) (via dannnao) (via mnky) (via yaruo)

「この掲示板、みんなバカなことばっかり書いてるな~。なぜ、こんなくだらないサイトがあるんだろう。今の学生は、こんなことしか考えてないのかい?」

とつぶやくと、娘が

「お父さんたちのお酒の飲み会と同じだと考えてみれば? ほら、中学の時、おやじの会とかで近所のお父さん、お母さんたちが集まって飲みながら話していたけど、くだらない話ばっかりだったじゃない?」(おっと手厳しい)

「何度も同じ話ばかりしてるし、近くの席に私たち生徒がいるのを忘れて、スケベなこと言ってた親父もいたじゃん。立てないぐらい飲んでお母さんに怒られてたけど。 うちの子供は駄目だと言ってたかと思えば無意味な自慢話してみたりって人もいたし、、、。」(確かに、、、)

「お父さんも会社の帰りの飲み会なんかで偉い人とか会社の悪口を言ってるんでしょ?」(いえいえ言ってません)

「それと同じよ。 お父さんの会社の若い人たちや女性だけで飲んでる時には、お父さんも言われているだからね。

 子供だけで会話しているところを、大人が、大人の価値観で見て、”くだらない”、なんて言えないよ。 子供が大人の飲み会の様子を見るのと、大人が学校裏サイトのコメント見たときの感覚は同じ。」

 それはお酒が入っていたからで、どのお父さんも日頃はまともな会話しているし、くだらない話の中で人間関係が出来ていく、などと言い訳してみたが、大人の飲み会コミュニティの役割がそれがそのまま、学校裏サイトに当てはまるのかもしれないと思った。 

 なるほど、子供の視点はするどい。私たち大人でこのような考え方はできないだろう。

 最近、私が見たそんな「謎」は「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい “But whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also.”」という言葉です。新約聖書マタイ伝の中に書かれているイエス・キリストの言葉です。この言葉を聞いた人が書いた、「あれ?ふつう右利きの人がほとんどですよね?だとしたら、右の手で相手をぶつんだから、(頬をぶたれる側の人からすれば)左の頬を打たれることになるんじゃないですか?最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問を眺めたのです。…確かに、不思議です。世の中の90%くらいの人が右利きだということを考えると、ぶたれる頬は「左頬」が自然です。相手から「右頬」を打たれる、というのは何だか不自然です…?

 そこで、Wikipedia の”Turn the other cheek”の項や、「右頬を…」という言葉を解説した文章を読んでみると、とても興味深い(もっとも支持されている)説を知りました。それは、この言葉で勝たれているのが、「右手の甲で相手の右頬を打つ」という状況だった、ということです。確かに、右手の甲で相手の顔を払うように打つのであれば、(頬をぶたれる側からすれば)右頬が打たれることになります。そして、古代のユダヤ世界では、「手の甲で相手の頬をたたく」ということは、非常に相手を侮辱する行為で、自分より「階級・地位」が下である者に対してのみ行うことが許されていた、というのです。また、当時は左手は「悪い」側の手とみなされていて、自分の主張などを行う際には使うことができませんでした。だから、「右手の甲で相手の頬を打つ」というのは、「自分より地位が下のものを、侮辱しつつ叱責する」という目的で「ごく自然に行われていた」行為であった、というわけです。なるほど、だとすると、「最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問は氷解します。…だとすると、今度は次の疑問が湧いてきます。「さらに奥にある疑問」が浮かんでくるはずです。「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」という言葉は、一体どんなことを言おうとしてるのでしょうか?

 「左の頬を向けられ」たら、(右頬を打った)相手はどうするでしょう?左手は使えませんから、左の手の甲で「左頬」を打つことはできません。だとすると、右手の掌で相手の左頬を打つことになります。…しかし、(自分より相手の地位が下だとみなす行為である)手の甲で相手を打つのではなく、「掌で相手を打つ」ということは、相手を自分と対等だとみなすことです。つまり、「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を、「自分と同等の人間である」と認める行為になってしまうわけです。(頬を打った側の人は)大きなジレンマを抱えてしまうことになるのです。

 つまり、この言葉は、単なる「相手の暴力・差別に対して服従・無抵抗になれ」という意味ではなく、「暴力は使わず、根本の意味におけるより強い抵抗を示せ」という言葉であった、というわけです。旧約聖書の「目には目を」という「報復行為」と対比されることが多いために、私はこれまで単なる「無抵抗主義を示す言葉」だと思っていたわけです。しかし、実はそうではなかった…ということがとても面白く、興味深く感じたのです。

愚民思想というのは根強く、「ほんと、日本人ってバカばっかりだよな」という具合に、愚民思想に賛同する人というのは結構存在する。愚民思想が根強い人気を持っているのは、「人間は自分が批判の対象になっているとは想像もしないものである」からだという。私がこの真理を実感したのは、綾小路きみまろのファンを分析するテレビ番組を見た時だ。

その番組では、「綾小路きみまろのファンは、毒舌ネタのことを他人事だと思っている」という驚くべき事実を告げていた。綾小路きみまろの毒舌ネタは、中高年の哀愁を笑い飛ばす自虐ネタであり、ファン(当然、中高年が多い)もまた、自分自身を笑い飛ばしているものだと私は思っていたのだが、実際はそうではなかった。客に毒舌ネタの感想を聞くと、多くのファンが「いるよね、こういう人(笑)」という反応を見せていた。ファンにとって、毒舌は自分自身に向けられたものではなく、あくまでも「自分以外のかわいそうな中高年」を綾小路きみまろと一緒にイジッている、という感覚だったのだ。

このような鈍感力は、ベストセラーになった『バカの壁』にも通じる。私はこの本を読んだ時、「はいはい、どうせバカで話が通じなくてすみませんね」と、養老センセイに腹を立てたものだったが(笑)、どうも世間の反応は違ったらしい。この本を読んだ人の多くは、「いるよね、こういう話の通じないバカ」と、溜飲を下げていたというのを知って、私はショックを受けた。
宇宙開発には夢があるが、夢のためにやるのではない。新幹線に夢がある、農業に夢がある、じゃあ夢のためにあるのか?そうではなく、大人が真剣に取り組んだことが、万人に夢を与えただけだ。原因と結果を間違えるな。
Twitter / @大貫剛 (via diphda)

2010-11-19

(via gkojax-text)
考えることは非常に素晴らしいのですが、考えることで「最初の一歩」が出せなくなることもあります。
人は何かを始めようとするときに、1%でも否を感じると動けなくなります。

例:あの人が好きだ!あの人に告白しよう!”でも、もし振られたら…”

これを漢字で表すと以下のようになります。

1.人のことを好きな感情を「知」った。
2.自分の目標を「覚」えた。(付き合うことが目標)
3.告白が上手くいくか「考」えた。
4.考えた結果、最初の一歩を踏み出せない。

これを下記のように変えるだけで、動きやすくなります。

1.人のことを好きな感情を「知」った。
2.自分の目標を「覚」えた。(付き合うことが目標)
3.目標を達成するために行「動」してみた。(告白)
4.行動した結果について「考」える。

「知」「覚」「動」「考」
とも かく うご こう

ともかくうごこう。

船長に、「若手の漁師たちを見ているポイントってどこですか? 」と聞いたときには次のように教えてくれました。

 「昨日はできなかったけど、今日できたところ見よるかいのぉ」

 「そんな小さい差なんて、どうしたら分かるんですか? 」

 「え~、こんめぇことでええから、3つとか4つとか教えてあげんのよ。“こげーするとうまくできるど”とか、“そこに足を置くとアブねぇど”とか」

 「翌日、教えてあげたことができたところがあれば、褒めてあげるんですか?」

 「そげーじゃ。 1個でもできるようになったところがあれば、“できるようになったの”と声をかけてやんのよ」

 「じゃあ、昨日教えて、次の日になってもできていなかった部分はどうするんですか? 」

 「よっぽどアブねぇことでなきゃ、ほたくっちょく」

 「ええ~、放置しちゃうんですか?」

 「3つ教えたなかで、できるようになりよった1つをちゃんと気づいて褒めてやれば、言われた子は、『あ、船長はできちょらん残りの2つも知りよるな』っちゅーように、言わなくても分かるんど」

 「会社だとつい、できるようになった部分には何にも言わないで、できていないところばかりを“何回言えば分かるんだ? ”と指摘しがちなんです」

 「そげーしよると、若ぇ子は不満をためて言うこと聞かんようになるけぇのぉ」

 「監視にならないようにしつつ、若手を見るためにはできたところを見ておくことが大事なんですね」

 「ま~でも、危険なことについては、ちゃんと言わねぇといけねぇけんの。 “できたところを見る”っちゅーより、“できたところと、できてないところの両面を見ちょく”ちゅー感じかいの」